『シェイプ・オブ・ウォーター』を観て「観てよかったな」とは思ったけど感動で泣く映画じゃなくない?と思った人間の感想(そしてストリックランドの話)

上から下までみっしりネタバレだらけです。



前々から見たかった『シェイプ・オブ・ウォーター』を観てきた。ネタバレは極力遮断して観る派なので「主人公は耳が聴こえなくて半魚人的なものと恋をする」「ギレルモ・デル・トロが監督でアカデミーを獲った」「知人が何人か観に行って結構泣いたらしい」「美女と野獣がうんたらかんたらでナントカ言ってる人が何人かいる」ぐらいのざっくりとした情報だけ持って行った。デル・トロ監督についても『パシフィック・リム』は大好きだけどあとは『パンズ・ラビリンス』ぐらいしか観てないので特に詳しいとかではない。

一緒に観に行った友人も大体似たようなものだった。


観終わった直後の第一声。

友人「パンズ・ラビリンスじゃん」

私「パンズ・ラビリンスだったね」


パンズ・ラビリンス』だった。

そっちを観てない人向けにどういうところが『パンズ・ラビリンス』なのかを説明しようとすると壮絶なネタバレになるのでまあ観てくださいとしか言えないが、だいたい半分くらいの人が「たしかに」と言ってくれそうだし残りの半分には「どこがだよ!」と言われそうだ。





ともあれ、めちゃくちゃに泣かされると思って行ったらさっぱり泣けずに帰ってきた私たちは近くのうどん屋で昼食がてらディスカッションを開始した。

まず一致した意見としては、「面白い映画だった」「観て良かった」「冒頭の水没する部屋のシーンの美しさは尋常でなかった」「でも泣くタイプの映画じゃなかったな」。

多分この映画を泣ける純愛ラブロマンスとして観る層もいるし、そうでない楽しみ方をする層もいて、私たちは後者だったのだろうと思うし、多分私にとってこの映画は「人間って色々じゃん」という映画だったのだと思う。愛とか種族の超越とかあまり関係なく。



主人公のイライザは作中で自分を孤独だというけど、わりと人生彼女なりに楽しんでそうな感じがしたし、彼女の周りにいる人も優しそうだ。いや別に人生の楽しみと孤独はまた別の話だし、もっと言うと周囲の人の優しさと自分が感じる孤独も別の話なのかもしれないけど。でもジャイルズとゼルダという良い友人がいて、階下の映画館の人も結構親切そう。確かに耳の聴こえない掃除係の女性という立場で嫌な思いをさせられる時もあったけど、でも「孤独」「疎外」「差別」みたいな言葉で一元的にまとめることはできないかな、とは思う。彼女も一人の人間で、その人生は楽しいことも嫌なこともある。単なるテンプレに押し込まれない人物像はこの映画が絶賛される一因だろう。


悪役であるストリックランドも、テンプレには押し込まれない。私が泣けなかったのは、彼に感情移入しすぎたせいだとも思う。彼は現代のPC的観点から見ると完全にアウトで普通に嫌な奴だ。けれど一方で家庭では良い父良い夫らしく妻や子との関係は良好に見える。(ここでストリックランドの家庭が冷え切ったそれとして描かれてもおかしくないのに、そうでない普通の幸せそうな家庭にしたのは偉いな監督、と思う)

キャデラック破壊のくだりは爆笑ものだが、「成功したアメリカ人が乗るもの」として買われるキャデラック、という描写と壊れた後も意地のように使われ続けるそれの事を考えるとちょっと泣けてくるような気もする。むしろストリックランドのためなら泣けるかもしれない……

彼のアイデンティティは「アメリカンであること」「まともであること」、そしてこの2つはしばしば一体になる。アメリカンであることにはキリスト教的であることも多分含まれているだろう。自分のことサムソンに例えるしね。黒く化膿しても縫い付けられたままの指や元帥との「まともな男」についての会話もそうだが、個人的に彼のキャラ造形の精巧さを思わせる発言だと思ったのが以下の2つの台詞である。(と言いつつも細部はうろ覚えなのでご指摘あったら修正します)


①「神とは私のような姿をしている」

強い。自分が世界のメインストリームにいると信じて疑わない奴の口からでなければこんな言葉は出ない。その後にご丁寧にゼルダと比較して「私の方が近い」と付け加える。現代ならさぞかしよく燃えるだろう。ただし、アメリカ的価値観においてまともであることにアイデンティティを置くストリックランドのキャラを鑑みるとパーフェクトだ。


②「信じろ、ここはアメリカだ」

これは自分の子供に「未来では1人で空を飛べるの?」と尋ねられての返答だ。アメリカに対する彼のポジティブなイメージ、あるいはポジティブであろうとする姿勢の表れであるように思える。あとこれは流石に私のひいき目かもしれないけど子どものもしも話に付き合ってあげるのいい親父じゃない?


まあぐだぐだと書いたけど要するにストリックランドはやな奴だが彼なりに彼の生活とか考えることとかがあるというわけで、それで叙情酌量の余地があるとか言いたいのではないのだけれど彼も絶対悪ではなく色々いる人間の1人に過ぎないのだ。

人間には色々いて、みんな楽しいこととか苦しいこととかあるし、愛する相手も色々で、それが金髪美女だったりパイ屋のイケメンだったり南米から来た不思議な生き物だったりするし上手くいったり上手くいかなかったり、『シェイプ・オブ・ウォーター』はそういう映画だと私は思うことにした。本当に良い映画だった。


これからパンフレットを読み込んだり小説版を買ったり監督インタビューとか漁ったりしたらまた変わってくるかもしれないけど、とりあえず外側の文脈を見ずに映画単体として見た感想としてはこんな感じです。ストリックランドの今後を心配しながらなら泣けるかもしれない。



追記というかまとまりきらなかったこと

①不思議な生き物さんは南米で神さまと崇められていたらしい。アメリカから見てメインストリームなストリックランドからすれば周縁で異教な不思議な生き物さんはそりゃー受けいれられないわとは思う。


②ジャイルズが一度イライザの「彼を助けたい」という訴えを拒否し、そして戻ってくるシーン。ジャイルズはその間に期待を2度も裏切られ、ある種世間への幻滅を覚えて帰ってくるわけだが、イライザはそのことを知る由もない。私はポジティブに「相手のことを全て知らなくたって上手くやっていける」みたいな感じで受け止めたい。

あとイライザは結構色んな人を巻き込んでいるけど、個人的には自分の恋のためには手段を選ばないタイプのヒロイン大好きなのでオールオッケーです。


③イライザと不思議な生き物さんのラブシーンがあった時点で「これはイライザの不思議生物ベビー出産シーンあるわ!」と確信したのですが特にそのようなことはなかった。